2016年8月26日金曜日

元塾講師として思ったこと

何かのニュースで読んだのだが、ゆとり教育が終了した今も、小学生、中学生を対象とした塾がずいぶんと繁盛しているようだ。かく言う僕も、大学時代にはアルバイトの塾講師として、そこそこ稼がせてもらった。そこで、今日は塾講師での経験を回想してみたい。

僕は大学に合格した直後から(つまり入学前から)、内定した会社の研修に向かう前日(3月30日)まで塾講師でバイトをした。これだけ長く続いたのだからきっと相性は良かったのだろう。生徒の異性・同性問わず異様に人気があったお陰で、差し入れとして缶コーヒーをもらい、バレンタインデーにはチョコをもらい、時にはラブレターまでもらった。給料も他の講師よりかは多めにもらっていたし、何より一度も「クレーム」が来たことがなかった。 

色んな意味で塾ではおいしい思いをしていたわけだが、実は僕、大学受験の時まで塾には一切行ったことがなかった。

今はものすごい塾ブームだとメディアは煽るが、実際に僕が小学生のときも、クラスの9割近くが塾に行ってて、行ってないのは僕を含めて、数名程度だった。逆に塾に行ってないことで不安を感じ、親に僕は塾に行かなくてもいいのだろうか、と聞いたことすらある。(母は「行かなくてよろしい」と言い放った。)
 
さて、塾に来る子供には3パターンあって、

 ① 学校の成績は優秀で、かつ難関中学、高校を目指すために来ている優秀型。
 ② 学校の授業が分からなくて、さすがにヤバイと思った劣等生型。
 ③ 周りが行っているからというだけで来ている、何となく来ている型。

ちなみに、①と②が1割くらいで、残り8割は③である。

さらに分類すると、その中でも「自分から進んで塾に来ている」型と「親に行かされている」型に分かれていて、ほとんどが「親に行かされている」型だった。 

大体、毎日学校で5時間近くも授業を受けて、それ以上に他の場所で進んで勉強したい奴なんて、いたらチョット頭がおかしいだろう。
 
まあ、「家では勉強に集中できないから」という理由で塾に来ているのがほとんどだと思うが、それだけのために月に数万円も払う必要はあるのだろうか。しかもほとんどの子供が母親の車迎えと至れり尽くせりで。 そんな、子供に送迎サービスまでしてあげるのなら、いっそ自分で勉強を教えてあげればいいのにと僕は思う(特に専業主婦)。小・中学校の学習内容なんて、そんなに難しいものではない。

現在、塾に頼りきりの親には非常に言い辛いが、塾という現場で教えていた人間から言わせてもらうと、塾では特別なことは何も教えていない。「もう昔のことで、自分には分からないから、教えるなんて」と思っているなら、自分も一緒に勉強すればいいだけだ。

親は全く勉強していないのに、ひたすら子供には「勉強しなさい」、更には「自分が子供の時にはもっと勉強した」という。そして塾へ入れる。

僕の小学校6年生の時のクラスメイトで、旧帝大の医学部に進学した人間は男女で各1名ずついたが、どちらも小学校の時は塾には行っていなかったことを覚えている。これは希な例かもしれないが、「塾代は親の安心料」となっていないだろうか。
  
ゆとりですがなにか
  • ゆとりですがなにか
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