2014年4月19日土曜日

無料ゲームは考え方によってはお金がかかっている(らしい)

「無料のゲームも考え方によってはお金がかかっているんだよ」

先日、大学病院で医者をやりつつ株式投資で財をなした友人と飯を食っていた際、こんなことを言われたので、自戒の意味を込めてメモっておきたい。

彼と会話をするときは、大抵が株式投資の話になって、その日はスマホのゲームアプリ制作会社が熱いという話になった。新作のソフト(アプリ)がApp Storeの上位にランクインするかどうかだけで株価は影響を受ける。スマホゲームのトレンドは、まずは無料でダウンロードさせて、一定以上遊ぼうとした際や、強力なアイテム等を入手する際に課金が発生するシステムを取っているところがほとんど(広告が出るやつもあるけど稀)。だからダウンロード数が増えたからといって、それが多大な収益とは必ずしも結びつかないのだけれど、やはり「数をダウンロードされてなんぼ」の世界なので、ランキングが重要になってくるのだろう。

僕も、最近では暇つぶしでいくつか無料のゲームをダウンロードしていて、課金が発生しない範囲で遊んでいる(せこい)。その経験を踏まえて、「無料の範囲でも結構遊べるし暇つぶしになるよ」と言うと、友人は悲しそうな顔をしながらこう言ってきた。


「無料のゲームも考え方によってはお金がかかっているんだよ」

  え、なんで?

「おそらく、トータルすると1日に1時間くらいは遊んでいるだろう、キミのことだから」

  昼休みと帰りの電車の中と寝る前だから、それくらいやっているかもしれん。休日はもっとやっているかも・・・。

「で、今TOEICか何か勉強しているって言ってなかったっけ」

  ・・・やってるね。

「そして、昨年度も目標点を達成することはできなかった」

  ・・・。

「そもそも、今のキミに暇な時間なんてあるのかい?するべきことがあるんじゃないのか。暇つぶしができる状態が僕には不可解だ」

  はい・・・。

「去年の試験受験料と会場への交通費、スクールの受講料金・・・一体いくらかかったよ」

  正確にはわかりませんが、きっとトータルで5~6万はいってると思います。(←なぜか敬語)

「それが、キミが無料ゲームに支払った時間対価だよ」



今思えば、スマホで遊んでなくても(逆も然り)試験結果が不変だったらその式は成り立たないのだけれど、その場では言い返すことができず、ひたすら己の反省タイムとなってしまった。そして、上から目線の彼(同い年です)の説教は、更に続いた。


「僕はデジタルゲームで遊ぶこと自体が無駄な行為だとは思っていない。それが趣味で、心から楽しくて遊ぶのであればそれは有意義な時間だ。特に、最新のハードで発売されるソフトは1本開発するのに多くの人間の手間と莫大な時間とお金がかかっている。グラフィックスから音楽、シナリオ、システム…多くのクリエイターやライターたちの努力の結集であって、それには感動すら覚えるよ。一流シェフの作る料理を味わうが如くだ。でもスマホの無料ゲームは違うと思う。あれは如何に課金させるかに頭を使っているのであって、ソフトそのものの面白さなんて一般ゲームと比べたら無に等しいんだ。言って見れば「時間の浪費」だよ。そもそもスマホの課金ゲームって、もともとお金のない人から毟り取って成功しているような下流ビジネスであって・・・」


昔から口の立つ彼の説教は延々と続いた。(おわり)


<最近読んだ本>
悪の出世学 ヒトラー・スターリン・毛沢東 (幻冬舎新書)
日経新聞の広告で見て興味が湧き、ネットで購入。残念ながら評判以上に面白くはなかった。もう少し世界史の知識があれば違ったのだろうけれど、大学受験が日本史だった僕にはサブキャラの名前を把握するだけで終わってしまった。

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